代表挨拶

代表挨拶

ごあいさつ

ホームページをご覧いただきありがとうございました。
代表の羽鳥雄一郎と申します。
昭和の時代から葬祭業に携わり、葬儀社のなかでも古株の方にあたります。
実務経験三十年余の間、実績を積み重ねてきました。ですから、葬儀に関しては一番はどうかともかくとしても「精通している」と自負しております。
そんな私が考える「賢い葬儀」をご提案いたします。もしもの時にあなたのお役に立てればこれほど嬉しいことはありません。

代表理事羽鳥雄一郎

驚くことにブローカーの存在や業務の丸投げが通用しているほど葬儀業界の一部には未だいい加減な輩が蔓延っている現状だと思っています。正直者が最後の最後に損をするなんて私だったらまっぴらごめんです。

市民助葬会

ウチのお客さんにこんな嫌な思いはさせません。前もってご相談を希望の方はお申し付けください。よくある物売りの相談はしません。半分以上、雑談でも大丈夫です。

互助会の仕組みや市内葬祭事情など画像ではお伝えしにくい情報をご提供いたします。

さほど骨身を削るほどの苦労もなく、まわりにいつも助けてくれる人がいて、それなりに生活が進んでいく日々に感謝しております。

  • 昭和40年東京都生まれ。
  • 昭和63年から葬祭業に携わり葬儀社5社に渡り研修に努める。
  • 一般葬儀はもとより会社葬を始め、大手葬儀社でのセレモニー所長職を経験。
  • 平成7年には三笠宮智仁親王殿下ご臨席の式典を担当。そのお言葉のサゼッションに感銘を受け、平成10年の特定非営利活動促進法いわゆるNPO法の施行に際し、これまでの葬儀社の道は選ばず、非営利組織市民助葬会設立に参加。
    平成15年6月には、埼玉県知事認証NPO法人格を取得、通夜から告別式の直接的な実務及び、啓蒙業務の一環として葬祭講座等を積極的に開催。
  • 現職は、(特非)全国葬祭業協会理事、(特非)さいたまNPO市民助葬会理事。
  • 平成23年12月~同26年11月 所沢市地域福祉推進検討委員会委員(作文を提出して抽選に当たっただけで、特別に任命された訳ではありません)
  • その他、地元の警察や消防など籍を置く会も少々ありますが、活動歴として語るものなく省きました。
  • 所沢市小手指元町在住、51歳。剣道/銃剣道初段 陸上自衛隊第304施設中隊(朝霞)出身

・坂戸富士見幼稚園卒園
・坂戸市立坂戸小学校~千代田小学校卒業(児童会会長、先生方にはさぞご迷惑だったと思います)
・坂戸市立坂戸中学校~千代田中学校卒業(野球部、補欠)
・私立埼玉栄高等学校卒業(ゴルフ部、補欠)
・法政大学法学部法律学科(通信教育課程にて数単位取得、卒業はしていません)

「私の職務経歴書」

他社のホームページを拝見したところ、意外に代表者の職務経歴が掲載されている会社が見当りません。あるのは〇〇会の役職とか、〇〇で表彰されたとか…私はこーゆうの、こっぱずかしい思いがして好きではありません。どの葬儀社でどのような仕事をしてきたのか正直に書こうと思います

当初から独立希望として昭和の時代から葬祭業に従事していますが、当時は修行させて頂いた同市内にて開業するなどということは、とても考えられない時代だったと思いますし、現在でも私なりの「掟」は守っているつもりです。

しかしながら古い考えなのでしょうか?近年に独立する方は違いますね。仁義なき戦いとでも言いましょうか、競争社会のなか時代が変わったのかもしれません。


昭和63年 ミツギ葬儀社(狭山市)
当時、狭山市に住んでいましたので地元の葬儀社に自転車で通勤していました。
知識を吸収することの喜びを感じ、仕事が楽しく休日でも会社に行っていたことを懐かしく思い出します。
その頃の私は、毎日が違う業務の楽しさや式進行での「取りまとめ」などに満足を覚え、とても、死に直面した喪家さまをケアするレベルでは無かったことを今、感じています。
「都内の大手葬儀社で修行したい」という退職l理由を許していただき転職しました。
一昨年、十数年振りにお会いした食事の席で「本当は、幹部として残って欲しかったんだ」と、社長のことばが胸に響きました。私に葬祭のイロハを教えていただいた老舗の葬儀社です。
平成2年 愛礼儀典(府中市、川崎市)
経験者などの精鋭営業マンが多数在籍する大学病院対応の大手葬儀社です。
自ら志願し病院対応などの特有の当直業務を異例の一ヶ月半殆ど続けての集中研修は今でも思い出されます。
営業成績にも恵まれ、自分はかなり仕事が出来ると自信過剰のなか、まだ本元の葬祭業には遠く及ばないレベルだったと現在は感じています。
また、社長に退職を申し入れ、近々に退社するなど身勝手な行動で、ご迷惑をおかけした事を申し訳なかったと思います。
平成4年 中央商事(飯能市)
商社出身の社長のもと、独自の営業展開にカルチャーショックを受けたと同時に、企業経営の何たるかを思い知らされた会社です。
当時の私には力不足な点が多くあまりお役に立てず、また独立希望者として「今まで何をしていたのだろう」位の力不足を痛感し退職いたしました。
JAの業務受託や県西方面での直営葬儀式場を手広く展開する大企業です。
平成5年 埼京式典(日高市、狭山市)
新会社の立ち上げに参画するも三ヶ月で自主退社いたしました。
その後に会社は倒産しましたが、当時の私には社長の経営の苦しみなどは知る余地もなく、まったくお役に立てませんでした。
平成5年 やまと花壇(※現在あんしん葬祭に業務移行しています)
東京都下の三多摩方面にて営業を展開する老舗葬儀社です。
当時の専務は私と年齢も近かったせいか、弟のように可愛がっていただき比較的自由に仕事をさせていただきました。
この頃からでしょうか?実務のみに満足感を感じていた私が、喪家さまの労わりに助序ではありますが気づき始めた時期でもあったと回想します。
大規模葬儀の担当や、行政との渉外(真似事)の機会供与もいただきました。
家庭的な温かみのある葬儀社でした。
平成9年 松山セレモニー(東松山市)
仏壇部門、葬儀部門、民間救急部門、介護部門の計四社からなる比企地区大手のグループ会社です。
セレモニー所長職を始め専用葬儀式場の設計に携わることが許され、すり鉢状の客席や、せり出し舞台など劇場型スタイルの式場が完成した時の感激はいまでも胸に残っています。
社長と事業の構想を練る時間が深夜に及ぶことが多い毎日でしたが、夢を語る思いで苦になりませんでした。
私の好きな言葉のひとつに「生かされて感謝」というものがありますが、当時の社長に教えていただいたものです。

庶民の味方たれ

設立以来、多くのみなさまのご理解とご支援でここまで来ることができました。まだまだ市民助葬会のご葬儀利用者は全体ではほんの一部かもしれません。しかし、その一方でも市民助葬会を指名してくださるお客様がいらっしゃると思うと、身の引き締まる思いでいっぱいになります。

お陰様で年々利用者が増え昨年は136件の喪家様をお手伝いさせていただき、その責任の重大さが日に日に実感されます。大手葬儀社とは一線を画した、納得をいただけるご相談から親身取りまとめなど、きめ細やかなサービスが売り物ですから、利用者が増えれば増えるほど、細心の注意を払わざる得ません。

葬儀業界の一部には、いい加減な部分があると私は思っています。勤めているときから嘘くさくて自分自身が嫌でしょうがなかった時があります。そんな鬱屈した気持ちを抱えていた頃、父からはっきりしろと言われ独立したのが18年前。その父が息を引き取る前日に言った言葉が、「庶民の味方たれ」でした。いまでも私の心のなかに、その言葉は脈々と生き続けています。

私の生活は18年前と何ら変わらず借家に住み、中古車に乗る日々です。変わったことは、お客様が増えたこと、職員が増えたことだけです。驕らず、弛まず、誠実に努めることが私の考えです。

お客様に面談いただき、お眼鏡にかなった場合は、どうかご相談ください。